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第7回リアル寺小屋は宇田川路代さん!

  • 2022年12月6日
  • 2022年12月6日
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予想通りのショッキングさ

11月23日大久寺さんでリアル寺子屋を開催しました。

今回ご登壇いただいたのは宇田川路代さん。経営者でありながら、地域のイベントを次々と実践されている宇田川さん。小田原100人カイギが大盛況のもとに幕を閉じたのは、みなさんの記憶にも新しいところだと思います。

実を言うと、幼き日の宇田川さんが苦労をされていたこと、うっすらと聞いていたんですよね。だから、どんなお話が聞けるのか愉しみだったのですが、ちょっとおっかなびっくりなところもあったんです。

そして、予想通り、冒頭からショッキングなお話が飛び出しました。

(文字通り)厳しすぎるお父さんに苦しめられ、子どもの頃の宇田川さんは、ご家族から隔離されて寂しい時代を過ごされたそう。いくつもの記憶が欠けている、そう宇田川さんは振り返ります。

いつ、お母さんは迎えに来てくれるんだろう、そう思い、願い続けていた子どもの気持ち。宇田川さんは、淡々と、優しく語るのですが、聞いているだけで涙が止まりません。

でも、彼女は言います。そんな自分だからこそ、誰かに喜んでもらえることが嬉しい、人に必要とされて嬉しいんだ、と。

優しさの分岐点

子どもの頃に辛い体験をしつつも、そこから這い上がった人はたくさんいます。

その人たちは、弱い立場に置かれた人に対して、自分を重ねて共感する人と、努力が足りないからお前はダメなんだ、と断罪する人に分かれます。

その分岐点はどこなのか。

僕はずっと、家族に愛されたかどうかが分かれ道だと思っていました。僕は困っている人たちに共感するほう。家族に愛されてよかった、愛を知る人でよかった、ずっとそう思ってきたのです(自分を過大評価ですが(笑))。

でも、宇田川さんのお話を伺って、恥ずかしくなりました。

人を助けようなんて思っていない、小田原をよくしようとさえ考えていない、そう、宇田川さんは言いました。

親の愛に恵まれなかった。だからこそ、自分の弱さを知り、人の役に立てることをただ嬉しいと思える。そこには、「弱い人たちを支えなきゃ」「小田原を盛り上げなきゃ」という義務感がなかったのです。

僕は正反対。その義務感を勝手に背負い込んでいます。そして、自己責任を声高に叫ぶ人たちを軽蔑しています。

それはきっと義務を背負おうとしない無責任さへの怒りなんでしょう。だけど、自己責任論を批判しながら、相手が自分と同じように責任を果たそうとしないことに怒る自分。実は同じ穴のムジナだったのかもしれません。

生きることの意味 それを変える力

義務を背負い、苦しむ僕。苦労をし、義務から自由になった宇田川さん。彼女も僕も、実践的にはやっていることは似ている。だけど、その<意味>が全然違っていたのでした。

そう、<意味>なんですよね。

たくさんの苦労をなさってきた宇田川さんは言いました。

「与えられた環境の<意味>を変える力が私たちにはあるんです」

辛い環境、悲しい境遇だった。でも、絶望はしたくない。環境を変えられないという己の無力さを知りながらも、希望を失わなかった、そんな<人間臭さ>があったからこそ、「意味を変えよう」と宇田川さんは訴えるのです。

己の学歴に酔いしれ、環境を変える力があると過信してきた自分。なんとなく怒られているような気持ちになりました・・・。

今を生きられなければ 未来の「今」も生きられない

義務感ではなく、喜びを感じるということ、それは今を大事にするということですよね。そして、今を生きられない人間には、未来なんて生きられない。

今の自分にできないことの理由を環境のせいにしていても幸せになれない。だったら、自分なりに意味を見出して、今を喜びに変えればいい。

僕は宇田川さんに<生きかた>を問われたのでした。きっとご本人は笑顔で否定されるでしょうけど(笑)

今回の寺子屋は雨の中での開催。お寺さんの広い玄関をお借りして、子どもたちはゲームに夢中になっていました。おやつは焼きリンゴのホットケーキ。大切な学び。子どもたちの笑顔。こんな幸せな空間があるんだな、と心から思えた、第7回の寺子屋でした!

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