8月6日、大久寺で、第4回<リアル寺子屋>が開催されました。
今回は、ソーシャルワーカーの遠藤奈由巳さんがご登壇。ソーシャルワーカーという仕事、みなさんには馴染みがないかもしれません。一言で言い表すのは難しいですが、一人ひとりの困りごとをなくすために、地域にある人・資源・制度をつないで、当事者やその家族の置かれた状況、それじたいを変えていくお仕事、そんなイメージでしょうか。
子どものときから<しっかり者>と言われて大きくなった遠藤さん。そんな原体験のせいか、成人した後も、<しっかり者>らしく、自分やお連れ合いのご家族を介護してきたそう。そして、その介護体験を通じて、家族の最期のときを、病院や施設ではなく自宅で迎えてほしいと強く思うようになったと言います。
そんな過去もあったからでしょうか、彼女は、介護の専門職の道を選ぶことになります。ところが、キャリアを重ねるなかで、そんな自分の価値観が当事者の思いを歪めていたのかもしれない、そう感じる事件が起きてしまいます。「体がいうことを聞くうちはお家にいたほうがいいから」・・・そんな相手のことを思ってのアドバイスでした遠藤さん。ところが、お相手のかたは、心の中で、元気なうちに、まだできることがあるうちに、施設に移ったほうがいいと思っていた、だけどいい出せなかった、というのです。自分の思い込みが、相手の自由を損ねていたのだとしたら?淡々とした語り口のなかに、自分の過ちを後悔する気持ちが滲みます。
僕にとってこのお話は衝撃的でした。最近、50歳になった僕ですが、「結局、人間なんて、好き嫌いと原体験で物事を決めている」という思いを強めていました。正直にいうと、多分、この考えじたいは、そんなに間違っていないと思うんです。でも、自分の大切にする価値観すら突き放し、見つめ直しながら、当事者の本当の幸せ、自由を考えようとする。僕は正しさとは別にある、何か大事なものを学んだような気持ちになりました。
会が終わった後・・・「本当に<当事者の幸せ>というきれいごとで済まされるんですか?」という意地悪な質問をぶつけました。仕事に、子育てに、たくさんの苦労を抱き締めてこられた遠藤さんにとって、そういう生きかたの根っこに<居心地の良さ>みたいなものがあるのではないか、そんな気持ちになったんです。
善意を信じられない、歪んだ性格。「人生を語らず」といった吉田拓郎に怒られそうですが、でも、まっすぐな生きかたを見せつけられ、そんな投げかけをせずにはいられなかったのです。「なるほど、どうなんだろう」・・・遠藤さんは噛み締めるように呟きました。そして「提出期限のない宿題をもらった」と語った遠藤さん。あえて即答しないことに、ますます彼女の誠実さが浮かびあがってきます。
まるで、新しい問いを発見したかのような雰囲気。求道者の生きざまを見させられたような気がしました。また、遠藤さんと飲み語らう(→彼女は下戸ですが(笑))、そんな愉しみが一つ増えたのでした!
終了後は、子どもたち自身がアイデアを出し合って開催された<子ども縁日>。写真の通り、すごい盛りあがりを見せました!鈴木敦子さんの紙芝居や映画の上映会も間に挟まれて、子どもたちは大はしゃぎ。そしてメインはビンゴ大会!いい夏の思い出になったはずです。
大人たちから<生きかた>を学ぶ寺子屋。小さな子どもたちは外ではしゃぎ回り、若者から高齢者まで、境内の中で生きる達人の話を聞いています。大きくなって、この学びの輪に加わってくれる子どもたちが出てくる日が愉しみでなりません!!みなさんもぜひ遊びにいらしてください!!!
(文-風の谷あしがら(井手英策))